北海道産 辛子めんたい

希少な北海道産原卵のみを使用した
福さ屋の最高峰「謹製辛子めんたい」

〜創業者・佐々木吉夫の思い〜

北海道の海では毎年、秋から冬にかけて、スケトウダラ漁が行われていますが
近年漁獲高は1993年の漁期以降ほぼ右肩下がりとなり、年々減少傾向にあります。
そのため国産の明太子は価格高騰しており、手に入れるのが困難になっているのが現状です。
そして現在、市場に出まわる明太子のほとんどが、アメリカ産やロシア産などの海外産です。

そんな中いつかは北海道産スケトウダラの卵で
辛子めんたいをつくりたいと想っていた創業者・佐々木吉夫。
その想いが結実したのが、この北海道産の原卵だけでつくった
「福さ屋 北海道産原卵使用《無着色》謹製辛子めんたい」です。
福さ屋のご贈答用辛子めんたい最高峰として、皆様に喜ばれる福さ屋自慢の逸品です。

謹製辛子めんたい

美味しさのヒミツ

素材選びから味付け・工程に至るまで、すべてにこだわり尽くしてきた福さ屋の辛子めんたい。
美味しいのにはしっかりとした理由があるんです。

福さ屋自慢の特製たれ

01福さ屋自慢の特製たれ

福さ屋のめんたいのおいしさは、イワシを塩で漬け込み発酵させた旨みたっぷりの魚醤と、キレのある辛み・甘みが特徴の福さ屋オリジナルブレンドの唐辛子を加え、見事に調和した特製のたれにあります。
「ほどよく辛くて美味しい」と多くのお客様からご好評をいただくのには辛さだけではなく甘みやうまみといったその他の味覚もしっかりと含めた複雑な味付けによります。
ヒトの味覚を形成する7つの味覚(甘味・酸味・塩味・苦味・うま味・辛味・渋味)をしっかりと考えられたからこそ辿り着いた「美味しさ」のヒミツのひとつです。

厳選した原卵のみを使用

02厳選した原卵のみを使用

明太子はスケトウダラの卵の成熟具合によって味が変わります。福さ屋では、この道20年以上の熟練者がひと腹ひと腹丹念に、艶・粒感・皮のハリなどまで吟味・厳選した、明太子が最もおいしくなる熟した「真子」のみを使用しています。
創業者・佐々木吉夫が1番にこだわったのがこのスケトウダラ選び。ハリがあり、粒がしっかり立った卵でなければ、特製のたれもうまく浸透しません。そんな厳しいチェックをクリアした上質な卵のみが福さ屋の「辛子めんたい」として生まれ変わるのです。

三昼夜、時間をかけて熟成

03三昼夜、時間をかけて熟成

余韻が残る風味を追求するためには、時間を惜しみません。明太子の味は熟成が重要です。福さ屋では、特製たれに三昼夜にわたって、じっくり漬け込み熟成させます。こうした手間と時間をたっぷりかけることで、はじめて、深い味わいが生まれてくるのです。
さらに、一定の美味しいさを保つよう、ひとつひとつ丁寧に作業することを心がけながら、美味しい明太子をつくっています。

今、北海道産辛子めんたいが
贈り物に選ばれています。

余計な冷凍をしないため、何よりも鮮度が良くなめらかな口当たり、透き通ったハリのある薄皮から見えてくる際立つ粒々感。
希少な国産の明太子は、特別な贈り物にピッタリです。
海外産では味わえない、北海道産原卵使用《無着色》謹製辛子めんたいならではのしっかりとした濃厚な旨味と辛味をお楽しみいただけます。

贈答用 北海道産辛子めんたい

謹製辛子めんたい

新鮮で上質な北海道産原卵のみを使用したご贈答用辛子めんたい。
大切な記念日やお祝い・ご挨拶など、ワンランク上の特別な贈り物としてご利用いただいています。

国産原料にこだわった
最上級プレミアムめんたい

福さ屋辛子めんたい「博多」は、
北海道産の原卵と国産の唐辛子と本みりん、
そして創業者・佐々木吉夫の生誕地である
北海道礼文島の利尻昆布を贅沢に使用。
全ての原料にこだわり、つくりあげた
福さ屋の自信作です。

辛子めんたい博多 辛子めんたい博多
礼文島

高級昆布の代名詞北海道礼文島産「利尻昆布」

高級昆布の中でも1,2を争う礼文島産の利尻昆布。他の昆布に比べて、肉厚で柔らかく粘りととろみが強いのが特徴。利尻昆布からとれる出汁は、澄んだ透明でクセがなく上品な香りがします。

北海道礼文島産 利尻昆布

いつもより贅沢な気分を味わえる
「おいしい贈り物」をお届け

お世話になったあの方や、大切なあの方のために。
感謝の思いとともに
「笑顔があふれる楽しい食卓になりますように。」
そんな気持ちを込めて
こだわりの逸品をご用意しました。
ぜひ、あの方の笑顔を思い浮かべながらご覧ください。

福さ屋物語

福さ屋は創業以来「博多を代表する味 辛子めんたい」ひとすじに、食卓へ笑顔を届け続けて参りました。
博多生まれの福さ屋の原点は遠く離れた北海道にあります。創業者・佐々木吉夫は、北海道最北端の島、礼文島で網元の三男として生まれました。少年時代は海が凪ぐと学校を休んで父親とともに網を曳きました。その後、札幌の大学へ進学。在学中に政治家の秘書となり、その政治家の地盤である博多に居を移しました。当時、博多ではめんたいこが特産品としての知名度を上げはじめていた頃で、縁あってめんたい作りに挑戦することに。「自分は漁師の息子、タラコなら任せとけ」。根っからの負けず嫌いの性格が、その背中を後押しし、来る日も来る日も試行錯誤の味づくり。自宅の台所にはタラコの匂いが染みつくほど。
そしてようやく出来上がった福さ屋の味。東京、有楽町に四坪の店を構え売り出しました。銀座並木通で深夜まで屋台をひいた1979年のある日、その味がとある百貨店の目に留まり販路を拡大、いまや全国区となりました。皆様に喜ばれる福さ屋自慢の味。創業者・佐々木吉夫の想いと一緒にお届けいたします。